作品やクリエイターに誠実に向き合うアニメプロデューサーの信念

話題のアニメ作品を数多く生み出しているポニーキャニオン アニメ・映像事業本部で、アニメの企画・製作を行っている小山 直紀。企画立ち上げからコンテンツ運用まで、トータルプロデュースするのが彼の役目です。営業やマーケティング、宣伝も経験した上で見出した、アニメプロデューサーとしてのあるべき姿とは――。
9.11に衝撃を受け報道の道を志した青春時代

特撮×アニメーション作品として金字塔となった『GRIDMAN UNIVERSE』シリーズ、『アヌシー国際アニメーション映画祭』で特別賞“ポール・グリモー賞”を受賞した劇場アニメ『夏へのトンネル、さよならの出口』など、数々の話題作を手がけてきたアニメ制作プロデューサーの小山。中高生のころはJ-ROCKに傾倒し、熱心にバンド活動をしていたという彼にとっての最初の転機は、高校生のころに訪れました。
小山
子どものころから音楽が好きで、それこそポニーキャニオン所属のアーティストの楽曲もたくさん聴いていました。中学1年からギターを弾き始めて高校3年までバンドを組んだり、高校に入ってからは吹奏楽部でサックスを吹いたりしていました。自分なりに真剣に取り組んでいたのですが、真剣にやっていたがゆえに自分には音楽の才能はないのだなと気づきました。
ここまでは自分もできるけど、ここから先はどうしても殻が破れない、みたいな。自分は演者としてやっていくのは現実的ではないなと密かに落ち込んでいた時期に、バンド仲間のすすめで金城 一紀さんの小説『GO』に出会ったんです。
在日韓国人の高校生が恋や友情に悩みながらもアイデンティティに目覚めていく物語がすごくおもしろくて、夢中になって読みました。その翌年に窪塚 洋介さん主演で映画化され、その映画もまた自分に刺さったんですよね。エンタメなのに社会性のあるテーマが貫く『GO』、未だにマイベスト映画上位にランクインしています
映画『GO』との出会いをきっかけに数多くの映画や小説を触れるようになった小山。同時にある国際的大事件が、彼の進路に大きな影響を及ぼしました。
小山
高校生のとき、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)が起きたんです。当日は早めに寝てしまって深夜に目が覚めたのですが、テレビをつけてみたら、ニューヨークやワシントン郊外がとんでもないことになっていて。言いようのない感情のまま、ずっと生中継を見ていました。
当時はドキュメンタリー番組にも興味があったこともあり、現実で起きるノンフィクションの出来事を伝える仕事に進みたいと、知られるべきことをクローズアップする仕事をしてみたいと思うようになり、高校3年のころには報道の道を志すようになったんです。
地元・香川にもテレビ局や新聞社はあるものの、東京に比べて情報の多さや速さの差を痛感していたので、意を決して東京の大学に進学しました。大学時代は文学部で学びながら、マスコミサークルで記者の真似事みたいなことをしていました
上京と同時に、某報道局の政治・経済部でデスク補助のアルバイトを始めた小山。大学3年で就職活動を始めた際にめざしたのは、やはり報道でした。
小山
いずれドキュメンタリーディレクターになりたいと思っていて、報道系の会社を数社受けました。中でも、アルバイトをしていた報道局はそれまでの経験もあるし、いけるんじゃないかと思っていたのに、就職試験にわりと早い段階で落ちてしまって……。どうしても諦めきれず、留年してもう一度新卒で就職試験を受けたいですと親に頭を下げたんです
留年期間に自分に向き合い、楽しいことを発信するエンタメ業界へ

留年し、再度報道記者をめざして就職活動を始めた小山。しかし、気持ちに変化が生じます。
小山
東京に出てきたからには報道記者にならないといけないと、そう力みすぎているというか、無意識に自分を縛っているんじゃないかって思うようになったんです。
ドキュメンタリーは社会問題など重いテーマや話題を扱うことが多いのですが、報道局で働いてみたり、報道の就職試験対策をしてみたりするうちに、ひょっとしたら自分は楽しいことを通じて人生を豊かにしたり気づきが生まれる仕事のほうが好きなんじゃないか、向いているんじゃないかと留年期間に気づいたんです。振り返れば『GO』で得た感動が自分の一番深いところにあったのだと思います。
結局、2度目の就職活動ではエンターテイメント系の会社を主に受けまして、その中で早い段階で内定をもらったのがポニーキャニオンでした。ゆくゆくは実写映画のメディアミックスプロデューサーになりたいと希望していたので、数度受けることになった面接では、たとえば自分の好きな星新一さんの超短編小説“ショートショート”をこういうふうに映像化したいとか、具体的な話を毎回するようには心がけていました。そういう前向きな姿勢とポニーキャニオンの自由で風通しのいい社風がマッチしたのかもしれないなとは思います
ポニーキャニオンに入社後、まず配属されたのは愛知・岐阜・福井・石川エリアのレンタルDVD店への営業を担当する、名古屋営業所レンタル営業部でした。
小山
映画や映像の制作がやりたくて入社してくる人間は僕以外にもたくさんいたんですけど、まずはレンタル営業から始めるというのが当時のセオリーでした。なぜかというと、レンタル店はどういうお客さんがどういう作品を求めて借りていくのかが一番体感できる場所だからです。
目標予算を達成するために、営業活動を通していかに店舗ごとに予算と自社作品を陳列する棚をいただくか、というのがレンタル営業の仕事です。自分なりにいろいろな作戦を立てて営業に励む中で、営業が数字を作って、それが積み上がって作品の収支になるんだというビジネス感覚みたいなものはすごく養われたと思います。
たとえば100万円でビデオやDVDを置いてもらったとして、レンタル店はその100万円を回収するために貸し出さなきゃいけない。じゃあ僕たち営業ができることは、本社から多めにポスターをもらって店内に貼ってもらったり、陳列棚に置くモニターを提供してそこで自社作品のプロモーション映像を流してもらったりすること。売ったら終わりじゃなくて、その後ちゃんと回収して次の作品の予算に回せるようにしよう、そのための施策をレンタル店の方とも一緒になってあれこれ練ろうと奮闘して、その成果が目に見えて現れると苦労も報われました。
名古屋は車線が多く道路がすごく広いので、最初はお店回りに欠かせない車の運転で苦労したものの(笑)、おかげで運転がうまくなったりもして。名古屋は縁もゆかりもない場所でしたが、住めば都、とてもいい街で公私ともに充実した2年間を過ごしました
飛び込んだアニメの世界で得た多くの学び

入社3年目で異動したのは、映像マーケティング部。映画、ドラマ、アニメの3チームのうち、小山が配属されたのはアニメの販売促進チームでした。
小山
小説やマンガをアニメ化するにあたっては、原作者や原作出版社があって、製作委員会があって、制作会社があって、声優さんたちがいて。作品をよりよくしよう、売り上げをもっと伸ばそう、盛り上げようという同じ目標を全員が持っていることを知りました。目標のためであれば変に気構えたり過剰に忖度する必要もない、社内も社外も同じ目線で動けるのがアニメコンテンツの世界なんだということを肌で感じたんです。それまで人生であまり触れてこなかったアニメを担当することになったこのときの異動は、自分にとって大きなターニングポイントとなりました。
アニメチームでは、アニメ作品のほか声優アーティストの販売促進も手がけていましたが、竹達 彩奈さんの3rdシングル「時空ツアーズ」は特に思い出深いです。
科学技術館での館内ツアーイベントやプラネタリウムでの星空生解説&ミニライブ等に参加できる応募抽選を行ったり、箱根・彫刻の森美術館で本人の音声ガイダンスを行うコラボイベント“たけたつあーず”を企画しました。社内の制作担当や事務所、ご本人に提案・説明をし、全会場自分で交渉から運営まで行いました。通常のインストアイベントよりもさらに踏み込んだところ、シングルがチャートトップ10入りを果たしました。あのときは本当に嬉しかったですね
そうした“いつも通り”にとらわれない発想や提案をできるのが、小山の強みです。
小山
自分自身がもともと音楽や小説、映画が好きだから、この曲のタイトルをこうもじってこういうイベントをしたら楽しんでもらえるんじゃないかっていうアイデアが自然と湧いてくるのかもしれません。また、ひとひねりを加えた販促イベントをやるのは運営する側も楽しめるんだということを先輩の姿を見て学べたし、そういう自由な発想でチャレンジさせてもらえるポニーキャニオンの懐の深さもありがたく思っています
映像マーケティング部に2年ほど在籍したのち、第2映像事業本部に移りアニメ作品の宣伝プロデューサーを務めることになった小山。いつかはプロデューサーに、という願いが入社6年目にして叶ったのです。
小山
“社内外問わず関わる人がみんな同じ目標を達成するために尽力する”というマーケティング部で感じていたことを、やっぱりそうだよねと宣伝の立場でも再確認しつつ……、一方で制作宣伝の人たちは社外の方から言われたことを翻訳してマーケティングチームに伝えてくれていたんだなという気遣いを身に染みて感じました。また、社内はもちろん社外に対しても予算を預かって宣伝をする責任の重さやあらゆる数字をより意識するようにもなりました。
当時はなんでも手弁当でやるような時代で、WEB用のプロモーションビデオやCMも自分で編集しますし、配信番組の台本も自分で書きますし、カメラを持つこともありました。
大変ではあるんですけど、ファンの方たちがリアクションしてくれたり、喜んでもらえると、それが励みになりました。そうやって自分の行動の一つひとつが誰かの楽しみや笑顔につながるんだなと思えたときが仕事のやりがいを感じる瞬間だったりもします。また、実際に手を動かす人がいかに大変かを身を持って知れたことも大きな経験です
作品の魅力が受け手に伝わったときの感動が、小山の原動力なのです。再びレンタル営業部、映像マーケティング部アニメチームで宣伝経験を生かした、より円滑な仕事運びや挑戦的な企画・提案などにチャレンジしたあと、1年ほど海外グループへ。海外へのアニメ番組販売や音楽配信サービスへの施策提案・営業も行いました。
小山
会社として海外展開に力を入れようというタイミングで。こういうロジックで製作委員会が動いているからポニーキャニオンの海外チームとしてはこういう提案ができるよねとか、Blu-rayの仕様に関わる提案をするときはこのタイミングがいいよねとか、アニメの宣伝全般を把握しているということで任された社内の各営業窓口の交通整理役でした。それまで得てきた知見を生かせたと自負しています
アニメ制作プロデューサーとしての揺るぎない矜持と数々の挑戦

そして、2019年にアニメクリエイティブ本部に異動した小山。アニメ制作プロデューサーとして手腕を振るっています。
小山
自分の感覚的にではあるのですが、制作の部署と他の部署は明確に違っていて、制作の部署はたとえるならオープンワールドRPGだと思っています。放たれた野で、どこに行くのも誰と仕事をするのも自由なんです。
ですからいつも心がけているのは、一緒にお仕事をしたい方にはなぜ会いたいかを伝えてアポイントを取り、どのような方にも丁寧にリスペクトの気持ちを持って礼儀正しく接すること、アニメ制作スタジオやクリエイター、原作者の方など相手にとってちゃんとメリットのある提案をすること。関係者みんなが気持ちよくWin-Winな関係になれたり、相互リスペクトの気持ちをもって仕事ができる環境作りをするのがプロデューサーの役目だと思っています。
プロデューサーは独断で動くこともできてしまいますけど、絶対にあぐらをかいたらいけないし、ブラックボックスにせずになんでも社内で共有しなきゃいけない、誰に対しても誠実であるべきだと肝に銘じています。演技もできず、絵も描けず、歌も歌えないけれど、各クリエイターの特長や業界・ファンの動向を把握して、才能を最大出力するための企画を練ることがプロデューサーの仕事だと思っています
制作プロデューサーとしてこれまでに関わったのは、『GRIDMAN UNIVERSE』シリーズや劇場アニメ『夏へのトンネル、さよならの出口』など。それぞれに忘れがたいエピソードがあります。
小山
『GRIDMAN UNIVERSE』シリーズは、第2弾である『SSSS.DYNAZENON』から関わらせていただきましたが、日本が誇る特撮の祖である円谷プロダクションさん、独自のクリエイティブで世界中のファンを魅了するアニメーションスタジオ・TRIGGERさんという二大スタジオとお仕事できたことが本当に光栄でした。才能があるだけでなく人柄まで素晴らしいクリエイターのみなさんと一緒に僕自身もワクワクしながら、子どもから大人まで楽しめる超エンタメ作品を作ることができました。
『夏へのトンネル、さよならの出口』は上司のすすめで原作小説に出会ってぜひ映画化したいと思い立ち、初めて自分で一から企画を立てて、幹事プロデューサーとしてすべてに関わらせていただきました。田口 智久監督とアニメーションスタジオ・CLAPさんとの出会いがすごく大きくて、アニメファンはもちろん一般の方にも楽しんでいただける映画になったし、実写映画的な演出や画面作りを行った青春SFラブストーリーは新鮮に受け取ってもらえたんじゃないかなと思います。
国内外の著名な映画祭にノミネートされていく経験だけでもとても嬉しかったのですが、アニメーション映画祭の最高峰の一つ『アヌシー国際アニメーション映画祭』で特別賞“ポール・グリモー賞”を受賞したときには震えました。この夏には中国で上映がされたり、欧州各国での上映も決まっていっています。今後もどんな反響があるかとても楽しみです
また、小山の出身地である香川県の観音寺市が舞台モデルとなったアニメ『結城友奈は勇者である』では、小山が先頭に立って観音寺市でのイベントやスタンプラリーなどのコラボイベントを企画・運営。好評を博しています。
小山
舞台コラボは2017年から行っていまして。当時の在籍は営業部でしたが、出身地でしたし、宣伝プロデューサーとしての経験が生きるのであればぜひやらせてくださいと参加をし、現在も携わっています。11月には観音寺市で第5弾となる舞台コラボイベントやスタンプラリーが開催されます。
ファンの方に喜んでいただいて、私事ではあるんですけど地元に恩返しができる、こんな嬉しいことはありません
アニメ制作プロデューサーとして忙しくも豊かな日々を送る小山。今後に向け、どんな展望を抱いているのでしょうか。
小山
原作付き作品かオリジナル作品か、その2つがアニメ企画の大きな枠組みなのですが、ビジネス的にもクリエイティブ的にもそれらとは異なるスキームで企画を立ち上げてみたいなと思っています。製作・制作の両面で現状に課題を感じていて、課題を解決しつつ、かつクリエイティブとしてもより魅力的な作品が作れないか、検討しています。
それから、スマートフォン上でも読みやすい縦読みのデジタルコミック“WEBTOON”の製作・出資も行っています。自分たちでコンテンツの権利を持てば、海外も含めてビジネスの可能性が広がります。お客さんの支持が直接利益につながるスキームがあるのであればそこに着目して、クリエイターのみなさんに正しく利益が流れていく環境作りをしたいと思っています。
クリエイターとファンのみなさんあってのエンタメビジネスであることを忘れず、今一度BtoCのお金の流れは強く意識したいと思っています。そのためにもアニメ以外の新しいメディアや表現にアンテナを張ったり、慣習にとらわれないスキームや契約内容にもどんどんチャレンジしていきたいですね
関わる作品、クリエイターを心からリスペクトし、現状に甘んじず新たな一歩を踏み出し続ける小山。彼の探求心、挑戦心は尽きることがありません。
※ 記事の部署名等はインタビュー当時のものとなります
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