医療工学の大学院からエンタメ業界へ。その異色の経歴と仕事観

医療工学の大学院からエンタメ業界へ。その異色の経歴と仕事観

人事総務本部で採用・育成業務をメインとして担う横尾 勇亮。医療工学の大学院修士課程を修了したにも関わらず、一見畑違いのエンターテイメント業界に飛び込んだ、希少なキャリアの持ち主です。辿って来た道程を語る言葉からは、そのユニークな仕事観、人生観が浮き彫りになりました。

人材の採用を担う横尾がエンタメ業界へ飛び込んだ理由

▲人事総務本部 人事総務1部・横尾 勇亮。「普段は雨男なんですけどね」と話しながら晴天の下で撮影
▲人事総務本部 人事総務1部・横尾 勇亮。「普段は雨男なんですけどね」と話しながら晴天の下で撮影

横尾

主務は採用で、新卒と中途の両方を担当していて、入社後の研修のフォローも行っています。今の時代、現実的に物事を考える学生が多くて、仕事と自分の好きなことを切り分けて、ある意味ドライに考える世代になってきているのかなと感じます。

その一方で、エンタメ系は感情が大事なので、『好きで好きでしょうがないです』という人も大事にしたいので、採用は難しくなってきていますね。志望者側の幅が広くなっている分、会社としてどういうビジョンを描いていて、どういう人材がほしいのかをより明確にしておかないと判断を迷ってしまいますから

人事総務本部という、会社の中枢を担う部署に横尾が配属されたのは、2021年のこと。2010年に入社して以来、さまざまな部署を経験してだどり着いたのが現在の職務でした。学生時代は、脳科学への興味を発端に、新設されたばかりの医療工学専攻を備えた大学へ。医療系の研究職という約束された道もある中、ポニーキャニオンを就職先として選んだのは、どのような理由があったのでしょうか。 

横尾

大学入学時のガイダンスで、『この学問を学んでどういう人材になりたいか?』というような卒業後のビジョンを書く機会があって、僕は『医療関係ではなくて、おそらく音楽関係に携わる仕事に就いていると思います』と書いたことを記憶しています。大学側からすれば『えっ!?』って感じですよね(笑)。“音楽を仕事にできたら楽しそうだな”とは、その頃からずっと思っていました

横尾は、GLAY、L’Arc〜en〜Cielが一世を風靡したバンドブームの真っ只中で中高時代を過ごした世代。小さい頃にピアノを習うなど、音楽は常に身近な存在だったと言います。

横尾

振り返ってみると、小学六年生の送別会で先生たちが壇上に上がって男女混声で歌ってくれた岡村 孝子さんの『夢をあきらめないで』に感銘を受けたことがきっかけだろうなと思います。岡村 孝子さんの歌唱はもちろん素敵なんですけど、誰が歌っても心に響く歌がやはりあって。その理由は、歌詞に込められているメッセージ性が多くの人に届くからなんじゃないかなと僕は思っているんです

音楽の力を実感した原体験を胸に抱き、エンタメ業界への漠然とした憧れを描きながら、学業に専念した横尾。大学院への進学が決まったことで生まれた時間のゆとりを活かし、大学四年生のとき、驚きの行動にでます。

横尾

大学生でやり残したことはないかと考えたときに、就職活動とはどういうものかを見ておいたほうがいいと思って、合同説明会やセミナーに参加するなど、いろいろな企業の社員の方のお話を伺いました。

業界を限定せず、世の中にはどんな会社があって、何をやっているかを勉強するにはいい機会でしたし、なかにはその会社が持っている特許についてのお話を聞くなど、いろいろなことをじかに教えてもらいました

予行演習を踏まえ、いざ大学院一年生で迎えた“本番”では、医療系、音楽系、ファッション系、スタートアップ系企業という仕事として興味を抱いた4つの軸に絞って就職活動。最終的にポニーキャニオンを選びました。

横尾

医療業界に行かないのなら、“このタイミングでなければ二度と経験できないことに挑戦したい”という想いが強かったですね。自分はプレーヤーではないので、何かをゼロから作ることはできないだろうけど、アーティストと寄り添って音楽制作という立場で曲を作る、最終的な形にして届けるプロデューサーになりたいと思っていました

就職活動中に、横尾は父親から「最後は自分が決めればいいと思うけど、何かにつまずきそうになって振り返ったとき、信頼できるのは自分の経験だよ」と助言されたと言います。学業として、それまで学んできた医療工学とはかけ離れた世界に飛び込もうとしている息子を案じての言葉だと理解しながら、“自分の人生を決めるのは自分”と意志を貫いて入社を決意したのです。

初任地の名古屋勤務は1年足らず。ネット事業部の立ち上げメンバーに抜擢

▲「ものづくりに携われる部署に行けるうれしさはありました」と当時を振り返る横尾
▲「ものづくりに携われる部署に行けるうれしさはありました」と当時を振り返る横尾

入社後は、当時の新入社員配属の基本ルートに則って、地方の営業所に配属。横尾の初任地は名古屋でした。

横尾

タワーレコードや地場店のCDショップをメインに、名古屋を拠点としたヴィレッジヴァンガード本部の担当もさせてもらっていました。エリアとしては名古屋と岐阜の担当で、お店に毎月商品のリリース書を持っていき、店長やバイヤーと交渉をして、仕入れてもらう商品の数量を決めたり、店頭に陳列してもらうための販促営業をしたり、という業務をしていました

10カ月で東京へ異動が決まり、新設されたネット事業部の制作グループに配属。濃密な1年を過ごします。

横尾

デジタル化を見据えて、ポニーキャニオンが持っているIP(知的財産)やコンテンツを使って、自社独自のデジタルコンテンツを生み出せないかという考えで創設された部署でした。ものづくりに携われる部署に行けるうれしさはもちろんありましたし、会社を俯瞰して見ることのできる時間にもなりました。

音楽も映像も全ての自社コンテンツを見渡せる部署だったので、両方の部の制作陣と話をしながら進めていく経験ができたのは大きかったですね。『こういうコンテンツを使いながら、新規アプリケーションを作ったり、こういう取り組みをしたりできないか?』という提案を我々から制作陣にするので、人脈を広げることができましたし、視野も広がったと思います

入社から丸2年が経ち、マーケティング部へ異動。蓄積された過去の数字から傾向と対策を導き出す才覚を磨くことになります。

横尾

担当していたのは洋画・邦画の映画作品のマーケティングが主体でした。当時はフジテレビ作品の『踊る大捜査線』や『海猿』などシリーズでの邦画の大作を扱っていましたし、自身では『エクスペンダブルズ』など洋画の大作を任せていただくことも多くて。責任が大きい分やりがいもありました。やはり数字は嘘をつかないので、自社が蓄積してきた過去の作品の数字があってこその傾向と対策だなとすごく感じていました。

一つの作品のパッケージ化の権利を獲得するにも、権利元に対して支払うMG(ミニマムギャランティー)を決めるため、関連作品がどれくらいの数字で売れているかを把握しておくことは大事なことです。納得度がないと先方も『ポニーキャニオンでお願いします』とは言ってくれませんから。

最後の最後は“人と人”の信頼関係で決まると僕は思っているんですけど、やはり辻褄が合っていないと信用されないですし、そのための説得材料としてマーケティング部が蓄積してきた作品の数字は絶大なる効果を発揮しているだろうなと思っていました

アニメ事業を経て、人事担当へ。医療とエンタメに共通する大切なこと

▲さまざまな部署を経て、一貫して思っていることは“誰かのために仕事がしたい”
▲さまざまな部署を経て、一貫して思っていることは“誰かのために仕事がしたい”

マーケティング部に3年2カ月在籍し、2015年にクロスメディア事業本部(アニメ事業本部の前身)へ異動、アニメ事業に携わることになります。元々音楽が好きで、入社後には映像にも関わった横尾でしたが、アニメはそれに比べると縁遠いジャンルでした。

横尾

アニメだけは本当に通ってきていなくて。子どもの頃に『ドラゴンボール』が好きだったり、小学生のときにミニバスをやりたいと思ったのが『スラムダンク』の影響だったりはしても、ビジネスとしてはアニメ作品にさほど触れてはこなかったんです。僕の中では音楽や映画に比べて遠い場所にありました。

配属当時はポニーキャニオンが2.5次元の舞台制作に参入するタイミングで。『ダイヤのA』が多角的な展開をしていたので、『ダイヤのA The LIVE』という2.5次元の舞台作品を手掛ける際に、パッケージ化を進める上での制作のアシスタントをすることになりました

今でこそ巨大マーケットとなっている2.5次元舞台の黎明期を体験しながら、すでにメガヒット作品となっていたアニメ『進撃の巨人』のチームにも参加。製作委員会の成り立ちを学ぶなどして1年を過ごし、多くを吸収したと言います。

その後、担務変更もあり、アニメの音楽制作へと役割をシフトチェンジ。声優アーティストやアニメ作品の音楽のプロデュースに携わり、楽曲制作やアーティストプランニングを担当することになります。それは、入社当初に横尾が思い描いていた夢の仕事でした。

横尾

入社当時『けいおん!』の人気が高かったので、アニメの部署の中にも音楽の要素はあるとはもちろん思っていたのですが、実際に何ができるのかという業務内容までは詳しくわかっていなかったので、具体的にイメージはできていなかったんです。それでも音楽に携わる経験ができるんだとわかったときは、とてもうれしかったですね。

声優アーティストのムーブメントも大きくなってきたタイミングで、声優アーティストを担当しながら、アニソンシンガーのオーディションが立ち上がったときには、A&R的な立ち位置でスタートから携わらせてもらいました

アニメ事業に6年1カ月携わった後、現在の人事総務本部に異動。これまでの多岐にわたる社歴を、横尾は「会社のフロントラインの川下から川上へと順番に、教科書のようにたどった人事異動だと思っています」と振り返ります。

横尾

採用の立場で表に出るとき、『その部署はどういう部署なんですか』と聞かれて説明ができなかったら致命的だと思っていて。でも僕はこれまでの異動を経験したことで、会社としての機能も俯瞰して自分の言葉で伝えられると思っているので、今の部署に来た意味があるんじゃないかなと

各部署での実体験で培ったミクロの視点と、全社を見渡すマクロな視点、その両方を駆使して人事という現在のミッションに取り組む横尾。音楽プロデューサーを志望して入社した当初は想像しなかったであろう場所に辿り着いている状況を、どう捉えているのでしょうか。

横尾

どの部署であろうと“自分が成長できて、自分が輝ける場所はある”とずっと思っていて、その考えは就職活動をしていたときから変わっていません。“自分らしさ”を出したいと考えたこともあまりなくて、一貫して思うのは、“誰かのために仕事がしたいな”ということなんです。

医療の場合も、その医療で笑顔になってくれる人がいるし、エンタメも届いた先の誰かの幸せや笑顔につながることだと思います。届ける消費者が異なるだけで、軸は何も変わっていないと思うんですよね。

そう考えると、僕が求めている仕事観は、みんなが笑顔になれる場をつくることなんじゃないかなと思います。もちろん、自分が楽しんでいないと周りも楽しくないだろうなと思うので、自分も楽しむ。そういう現場をつくることが一番大事なことだと思います

「ポニーキャニオンで働いていてよかったな」と思える人たちと共に仕事を

▲会社説明会や就活セミナーに登場する機会の多い横尾。それらとはまた違った表情でアドバイスを語ってくれました
▲会社説明会や就活セミナーに登場する機会の多い横尾。それらとはまた違った表情でアドバイスを語ってくれました

「体験したことのない世界に入ることが、自分の人生に一貫して大事だと思っていた」と語る横尾の開拓者精神、果敢な冒険心は、職業選択の場面で大胆に発揮されました。その上で、エンターテイメント業界を志す人々に向けて、人事担当としての目線を身に着けた今だからこそ言えるアドバイスもあるようです。

横尾

当時の僕は新卒で入るしかチャンスがないと思っていたんですけど、別業種からこのエンタメ業界に入ってきても、その人はまた違ったムーブメントを起こせると思うんです。エンタメも医療も仕事の手段のジャンルというだけで、仕事で身につけたスキルはさまざまな場所で活かせると思います。なので、“チャンスはいくらでも広がっているよ”ということを、求職者や就活生、当時の自分にも教えてあげたいなと思いますね

今後挑戦してみたいこと、他の部署でやってみたいことを尋ねると、横尾は少し考えてこんなふうに答えてくれました。

横尾

“ポニーキャニオンで働いていてよかったな”と思える人たちと一緒に仕事がしたいと思っています。個人としての横尾という存在も、会社に入ればやはり“ポニーキャニオンの横尾”という立ち位置になる。その看板を背負っている時間が長いのであれば、僕はポニーキャニオンを好きでいることが大事だと思いますし、誇りに思いたい。“ポニーキャニオンを好きでい続けるには、どういう会社になっていたらいいのか”“そこではどういう人たちが働いていたらいいのか”を常に考えていますね。

今後も部署に関わらず、ポニーキャニオンの人材である限りポニーキャニオンのことを考え続けるので、採用でも育成でも、ポニーキャニオンを好きだという人が増えていってくれるようなことをこれからも続けていければと思っています

※記事の部署名等はインタビュー当時のものとなります。
その他の記事はtalentbookに掲載中!こちらへ

記事を一覧で見る

Culture,
Future,
Adventureタグラインについて

Serviceサービス紹介

Contact
Twitter Instagram facebook LINE Youtube
Jp En

当サイトでは、お客様のニーズに合ったより良いサービスを提供するために、Cookieを使用しています。サイトの閲覧を続行した場合、Cookieの使用に同意したことになります。詳しくは、プライバシーポリシーをご覧ください。